日の丸電子計算機じじい|プロフィール

生まれ東京府豊多摩郡代々木村出身
子供の頃の思い出その1京王帝都電鐵の保養所(代々木初台町474番地)で育ちました。広い敷地でした。
子供の頃の思い出その2体が弱く、気が弱く、甘ったれで我が国における引きこもり児童のパイオニアだと自負しています。
就職した職場について富士通(富士通信機製造)という会社に就職しました。 とても社員にやさしい会社でした。 私が高齢になって辞めるときに本社の人事に呼び出されました。
驚いたのは最後までやさしいお言葉をいただいたことです。
「なんでお辞めになられるのですか」と引き留めてくださいました。
たくさんの会社様からお誘いいただいていたため会社にとどまることはできず、無理を言って辞めさせていただきましたが、私のような老いぼれをひきとめてくださった富士通には感謝しています。
印象に残ってる仕事昭和40年代初頭にFACOM230-60という世界初のマルチプロセッサ機を出しました。
完全デュアルシステムを組める機械はこれしかありませんでした。
国際電信電話(KDD(現在のKDDI))様がこれを採用してくださり完全デュアルを実現しました。この話はブログの中でいずれ書きます。
楽しかった仕事とっくにリタイヤした私ですが、とても美人のかたがいっしょに仕事をしてくださることになりました。
まだ準備期間を必要としますが、これから始める仕事がとても楽しみです。
ちょっと自慢できること代々木中学時代に、少し先輩に吉永小百合さん。 同年代に初代ジャニーズの4人組がいます。(これだけが自慢です)
ちょっと嫌な思い出若いころに結婚相手を見つけるため、見合いをしました。
44回もお見合いしましたが全部断られてしまいました。
自分を完全否定されたようで、毎回辛い思いをしました。
あの傷は今も消えません。
今後の目標ブログを始めたきっかけなど
日本の昔のコンピュータ技術はすごかったのです。
過去には「日の丸コンピュータかく戦へり」などがありますが、どれも当時の有名な開発リーダーへのインタビューを基にしていたり、中心人物による著作物です。
実際の開発現場は決して一人や二人の天才が成し遂げたものではありませんでした。
私達中卒就職組に至るまで名も無い技術者や技能工の血みどろな努力の積み重ねがあったのです。
ブログを進めるうちにそうした下積み工による開発物語を書き込んでいきます。
最初のうちはアナログコンピュータの基本ばかりでたいくつでしょうが、途中からデジタルコンピュータの開発で得た技術のことを積極的に書き続けます。。

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